紡がれしクリスタルの導き
第2話「はじめての戦い」
バストゥーク共和国の正門を抜けると、見覚えのある荒野が広がっていた。
赤茶けた大地。ごつごつした岩。吹き抜ける乾いた風。ついさっき、砂まみれになりながら歩いてきたグスタベルグの景色だ。
「うわー、外ってこんな感じなんだ。なんか……荒っぽいね」
メルフィーが、物珍しそうにあたりを見回す。彼女はバストゥークに着いてからまだ一度も外に出ていなかったらしく、新鮮な目で荒野を眺めていた。
「ボクはさっき、ここを何時間も歩いてきたんですよ……」
「えっ、マジで? この砂だらけの中を? すごいじゃん!」
「すごくないですよ。すごくないです……」
タルティーの遠い目に、グスタベルグ踏破の記憶がよみがえる。あの終わりなき砂埃との戦いを「すごい」のひと言で片づけられると、なんとも言えない気持ちになった。
だが、今日の目的は、感傷に浸ることではない。
レベル上げだ。
「街の周辺でまずはレベルを上げる。これが冒険者の鉄則だって、さっき登録所で聞きました」
「おー、タルティー詳しいね!」
「メルフィーも同じ説明を受けたはずですよね……?」
「えーっと……聞いてたような、聞いてなかったような」
タルティーは小さくため息をついた。出会ってまだ半日も経っていないが、この人が説明を最後まで聞かないタイプだということは、もう十分にわかっていた。
そういえば……メルフィーはどうやってバストゥークへ?と聞きそびれてしまったが……まあいい、またいつか聞こう。
街の外、正門からほど近い場所に、それはいた。
巨大なミミズだ。
大地の上を、ぬるぬると体をうねらせている。体長はタルティーの背丈くらい。表面はてらてらと湿っていて、お世辞にも見栄えがいいとは言えない。
「……でっか」
メルフィーが呟いた。
「あれ、ミミズだよね? ミミズってあんなにデカいの?」
「グスタベルグのミミズは大きいみたいです。あと、あっちにいるのは——」
タルティーが指さした先には、これまた巨大なハチが、低い羽音を響かせながら飛んでいた。
「——巨大なハチですね」
「なんか、全部デカいね、この辺」
「そうですね……」
二人は顔を見合わせた。
冒険者の鉄則。まずは街の周辺でレベルを上げる。つまり、あの巨大なミミズや巨大なハチを相手に戦う、ということだ。
タルティーは、腰に差したナイフに手をやった。冒険者登録の際に支給された、シーフの初期装備だ。刃渡りは短く、切れ味もそこそこ。だが、今の自分にはこれしかない。
「……行きましょう、メルフィー」
「おっ、やる気だね! 任せた! 私が後ろから援護するから!」
「援護って、何をするんですか?」
「えーっと……応援?」
「…………」
若干の不安を抱えつつも、タルティーは意を決して、ミミズへと向かった。
距離を詰め、ナイフを構える。
相手はミミズだ。目も耳もなさそうに見えるが、こちらの気配には敏感らしく、タルティーが近づくと、ぬるりと体の向きを変えてきた。
「——はっ!」
タルティーは、思い切りナイフを振り下ろした。
刃がミミズの体表に食い込む。手応えはあった。……あったが。
「…………浅い」
切り裂いた傷口は、すぐにぬるぬるとした体液で塞がりそうなほど浅かった。支給されたばかりのナイフと、レベル1の腕力では、この巨大なミミズに大ダメージを与えるのは難しいらしい。
だが、効いていないわけではない。ミミズは明らかに怒った様子で、大きく体をのけぞらせた。
「もう一回——!」
タルティーは続けざまにナイフを振るった。二撃、三撃。少しずつ、だが確実にダメージは蓄積していく。
——勝てる。
そう思った瞬間だった。
ミミズが、予想外の速さで体をしならせた。まるで鞭のようなしなりが、タルティーの小さな体を横殴りに打った。
「——がっ!」
吹き飛ばされた。
砂埃を巻き上げながら地面を転がり、岩にぶつかってようやく止まる。全身に鈍い痛みが走った。
「いっ……たぁ……」
うずくまりながら、タルティーは自分の状態を確認した。まずい。一撃が重い。レベル1のシーフの体力では、あと一発もらったら、おそらく意識を持っていかれる。
「メルフィー! ケアルをお願いします!」
背後に控えているはずの白魔道士に、タルティーは叫んだ。
ケアル——白魔道士の基本中の基本。対象の傷を癒す回復魔法だ。白魔道士と組んでいる以上、ここで回復してもらえば、まだ戦える。
だが。
「…………」
返事がない。
「メルフィー?」
振り返ると、メルフィーが固まっていた。両手で杖を握りしめたまま、なんとも言えない表情で立ち尽くしている。
「あ、あの……タルティー」
「は、早くケアルを……!」
「ケアル……なんだけど……」
メルフィーは、ばつの悪そうな顔で言った。
「……使えない」
「…………え?」
時が止まった。
「使えないって……ケアルが? 白魔道士なのに?」
「う、うん……。白魔道士になったら自動的に使えるもんだと思ってて……」
「思ってて!?」
タルティーの声が裏返った。
その間にも、ミミズはこちらに向かってきている。ぬるぬると、しかし確実に距離を詰めてくる。
「ど、どうするんですか!? ボク、あと一撃くらったら終わりですよ!?」
「ちょ、ちょっと待って! そういえば——」
メルフィーが、突然何かを思い出したように、自分のカバンをあさり始めた。
「登録所で何かもらった気がする——スクロールがどうとかって——あった!」
カバンの底から、一枚の巻物を引っ張り出した。魔法のスクロール——つまり、魔法書だ。これを読むことで、書かれている魔法を習得できる。
「ケアルのスクロール! もらってた! もらってたよ、私!」
「早く読んでください!!」
「読む! 読むから!!」
メルフィーは、震える手でスクロールを広げた。書かれている古代文字に目を走らせる。魔法のスクロールは、読み手の素質さえあれば、文字を追うだけで魔法の知識が脳に刻まれる仕組みになっている。白魔道士の素質を持つメルフィーなら——。
「——覚えた!」
スクロールが、光を放って消えた。知識が、体に染み渡るのがわかる。
メルフィーは杖を構え、タルティーに向けて手をかざした。
魔力を集中させる。体の奥底から、温かい何かが湧き上がってくるのを感じた。これが、白魔法の力——。
「ケアルっ!!」
柔らかな光が、メルフィーの手のひらから溢れ出し、タルティーを包み込んだ。
傷が塞がっていく。痛みが和らいでいく。体に力が戻ってくる。
「——間に合った!」
タルティーは立ち上がった。
あと数秒遅かったら、ミミズの次の一撃が来ていた。本当に、ぎりぎりだった。
だが、今は動ける。
「ありがとうございます、メルフィー!」
「う、うん! ごめん! 次からはちゃんと使えるから!」
タルティーはナイフを握り直した。ミミズは、もう目の前まで来ている。
迷っている暇はない。
低く身構え、ミミズの体が振り下ろされる瞬間を待つ。来た——横に跳んで躱し、がら空きになった胴体にナイフを突き立てる。
「——はぁっ!!」
今度は深く刺さった。ミミズがびくりと痙攣し、そのまま動きを止めた。
ずしん、と重い音を立てて、巨大なミミズが大地に倒れた。
しばらく、二人とも言葉が出なかった。
タルティーはナイフを握ったまま肩で息をしていて、メルフィーは杖を抱えるように持ったまま、倒れたミミズを呆然と見つめていた。
やがて、どちらからともなく、顔を見合わせた。
「……危なかったですね」
「……危なかったね」
同時に、ふぅーっと大きく息を吐いた。
「ていうか、タルティー! すっごい吹っ飛んだよね!? 大丈夫!?」
「大丈夫じゃなかったですよ! メルフィーがケアルを使えなかったら、ボク、今頃どうなってたか……!」
「あはは……ごめんって……」
「笑い事じゃないですよ!?」
タルティーは声を荒らげたが、メルフィーの申し訳なさそうな、でもどこかほっとしたような笑顔を見て、それ以上は怒れなかった。
「……まぁ、間に合ったから、いいですけど」
「うん。次からはちゃんとやるから! 任せてよ!」
「……本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だって!」
そう言って胸を張るメルフィーに、タルティーは微妙な表情を浮かべたが、やがて小さく笑った。
「じゃあ、信じますよ。……でも、少し休みましょう。ボクも、メルフィーも、だいぶ消耗してますから」
「そだね。ケアルって、けっこう魔力使うんだね……ちょっとふらふらする」
二人は近くの岩に腰を下ろし、並んで座った。
ヒーリング——冒険者が体力や魔力を回復させるための、静かな休息の時間だ。座って目を閉じ、体内の気の流れを整えることで、少しずつ力が戻ってくる。ヒーリングの仕方もまた、登録所で教わったことのひとつだった。
「……ねぇ、タルティー」
「はい?」
「私たち、レベル1でミミズ1匹倒すのにこんな大騒ぎしてるけどさ」
「……はい」
「大丈夫かな、冒険者」
「…………がんばりましょう」
二人は顔を見合わせて、今度は一緒に笑った。
それは、この先何度も繰り返されることになる、ささやかな日常のはじまりだった。
休息を終えた二人は、再び狩りに向かった。
さっきの反省を活かして、今度は少しだけ慎重に立ち回る。タルティーが正面からミミズの注意を引きつけ、隙を見てナイフで切りつける。ダメージを受けたら、すぐにメルフィーにケアルを頼む。メルフィーは今度こそ、迷いなくケアルを唱えた。
一匹目よりも、明らかにスムーズだった。
「いけるじゃん! 私たち!」
「油断しないでくださいね」
「はーい」
ミミズを倒し、次はハチに挑んだ。ハチはミミズよりも素早く、羽音がうるさく、そして何より——刺される。針の一撃は、ミミズの体当たりとはまた違った鋭い痛みがあった。
「いたたたっ!」
「ケアル!」
「ありがとうございますっ!——もう一回!」
それでも、二人の息は少しずつ合ってきていた。タルティーが攻撃に集中できるのは、背中にメルフィーがいるからだ。メルフィーが落ち着いてケアルを唱えられるのは、タルティーがしっかりモンスターの注意を引きつけてくれるからだ。
ミミズを数匹、ハチを数匹。
大地に夕日が差し始める頃、二人はそれぞれの体に、確かな変化を感じていた。
体の動きが、ほんの少しだけ軽くなっている。ナイフの振りが、ほんの少しだけ鋭くなっている。ケアルの詠唱が、ほんの少しだけ速くなっている。
「メルフィー、もしかして——」
「うん。レベル、上がったかも」
レベル2。
たったひとつ上がっただけだ。だが、その「たったひとつ」が、これまでの自分にはなかったものだ。
「やったね、タルティー!」
「はい。やりましたね、メルフィー」
メルフィーが手を差し出してきた。タルティーは一瞬きょとんとしたが、すぐに意味を理解して、小さな手でぱちんとハイタッチを返した。
——手のひらの高さがだいぶ違ったのは、ご愛嬌だ。
夕暮れのバストゥーク。
街に戻った二人は、レベル上げ中に手に入れた素材を売りに行った。ミミズが持っていた石やハチの巣から取れるものは、鍛冶や薬の材料として需要があるらしい。
「えーっと、全部でいくらになりました?」
「二人で分けると、ひとりあたり……うーん、微々たるものだね」
「まぁ、最初はこんなものですよ。少しずつ貯めていきましょう」
「タルティー、しっかりしてるなぁ」
「しっかりしてないと、メルフィーと組んでたら大変ですから」
「えっ、それどういう意味!?」
「さぁ、どういう意味でしょう」
タルティーがとぼけた顔で言うと、メルフィーが頬を膨らませた。が、すぐにけらけらと笑い出した。
素材を売ったお金と支度金を合わせても、決して裕福とは言えない。だが、今日一日を乗り切れた。それだけで、今は十分だった。
「じゃあ、今日はこのへんにしよっか。モグハウスに帰って休もう」
「そうですね。明日に備えて——」
タルティーが言いかけたとき。
二人が、同時に口を開いた。
「あの——」
「ねぇ——」
声が重なって、二人とも止まった。
「あ、メルフィーからどうぞ」
「ううん、タルティーからいいよ」
「いえ、メルフィーから——」
「いいから、タルティーが先!」
押し切られて、タルティーが先に言った。
「その……フレンド登録、しませんか?」
メルフィーが、目を丸くした。
そして。
「——私もそれ言おうとしてたの!!」
「えっ、本当ですか?」
「本当だって! すっごい言おうとしてたの! ねぇ、すぐやろう!」
フレンド登録——冒険者同士が互いの情報を登録するシステムだ。登録しておけば、離れた場所にいてもメッセージを送り合える。相手が今どこにいるかもわかるようになる。
タルティーが冒険者証を取り出し、メルフィーも自分の冒険者証を取り出す。二つの冒険者証を近づけると、淡い光が交差して——登録が完了した。
「よし、できた!」
「はい。これで、いつでも連絡が取れますね」
「えへへ。なんか嬉しいな。私の最初のフレンドだ」
「ボクもです。最初のフレンド」
二人は、それぞれの冒険者証に新しく刻まれた名前を見つめた。
タルティーの冒険者証には「メルフィー」の名前が。
メルフィーの冒険者証には「タルティー」の名前が。
たった数文字。けれど、それは——これから先、どんな冒険が待っていても、ひとりじゃないという証だった。
「じゃあ、メッセージ送れるようになったわけだし……明日の予定、メッセージで決める?」
「いえ」
タルティーは、小さく首を振った。
「明日も、レベル上げをしましょう。朝から、同じ場所で」
メルフィーは、一瞬ぽかんとして——それから、にっと笑った。
「——うん! 約束!」
バストゥークの夜は、早い。
日が沈むと、街の灯りは鍛冶の炉の火と、まばらな街灯だけになる。その薄暗い石畳の道を、ふたりは並んで歩いた。
やがて、モグハウスが並ぶ通りに差しかかって、二人の道が分かれる。
「じゃあ、また明日! おやすみ、タルティー!」
「おやすみなさい、メルフィー」
メルフィーが手を振って、自分のモグハウスへ駆けていく。タルティーはその背中を見送ってから、自分のモグハウスへと向かった。
小さな部屋に入ると、モーグリが出迎えてくれた。
「おかえりクポ。冒険はどうだったクポ?」
「……大変でしたけど、楽しかったです」
タルティーは、ベッドに腰を下ろした。
今日一日のことを思い返す。砂だらけのグスタベルグ。うっかり選んでしまったシーフというジョブ。冒険者優待券の渡し先がわからなくて困っていた女の子。ケアルが使えなくて絶体絶命のピンチ。そして——初めてモンスターを倒した、あの手応え。
冒険者証を取り出して、もう一度見た。
フレンド欄に、「メルフィー」の文字。
「……明日も、がんばろう」
小さな声で呟いて、タルティーは目を閉じた。
冒険者になって、一日目。
レベル2の新米シーフと、ケアルを覚えたばかりの新米白魔道士。
ふたりの冒険は、まだ始まったばかりだった。