紡がれしクリスタルの導き
第3話「砂丘へ続く道」
それからの日々は、あっという間だった。
タルティーとメルフィーは、毎日欠かさず待ち合わせをしては、バストゥーク周辺でレベル上げを繰り返した。
朝、フレンドメッセージが届く。
『今日もやる?』
『はい。いつもの場所で』
『りょーかい! 先に行ってるね!』
いつもの場所——バストゥーク正門を出てすぐの、少し大きな岩の前。二人の待ち合わせ場所は、いつの間にかそこに決まっていた。
メルフィーはいつも先に来ていて、岩の上に座って足をぶらぶらさせている。タルティーが来ると、ぴょんと飛び降りて「おっそーい!」と言う。タルティーが「時間通りですよ」と返す。そんなやりとりが、もう何度目かわからないくらいに繰り返された。
ミミズ。ハチ。ピンク色の大きな鳥。トカゲ。少し離れた場所まで足を伸ばせば、川辺にカニもいた。甲羅の硬いクゥダフという獣人に手を焼いたこともあった。
最初は一匹倒すのに全力だった相手が、いつしか苦もなく倒せるようになり、やがて物足りなくなっていった。レベルが上がるたびに、ナイフの一振りは鋭さを増し、ケアルの回復量は大きくなり、そして何より——二人の呼吸が、ぴたりと合うようになっていた。
タルティーが前に出れば、メルフィーは自然と一歩引いて詠唱の準備をする。メルフィーの魔力が減ってきたら、タルティーは無理をせず撤退の合図を出す。言葉にしなくても、互いの状態がわかる。そんな関係が、戦いの中で少しずつ築かれていった。
——二人が冒険者になって、数日が過ぎていた。
その日も、いつものようにレベル上げを終えて街に戻る途中のことだった。
「なぁ、あんたら」
バストゥークの大通りで、ひとりの冒険者に呼び止められた。
ヒュームの男だった。使い込まれた鎧を身にまとい、背中には大きな両手剣を背負っている。一目で、二人よりもずっと経験を積んだ冒険者だとわかった。
「ちょっと聞きたいんだが、まだサポートジョブは取ってないのか?」
「サポートジョブ?」
メルフィーが首をかしげた。タルティーも、聞いたことのない言葉だった。
「おいおい、マジか。レベルはいくつだ?」
「えっと……もうすぐ14です」
「14か。なら、そろそろサポのことを考えてもいい頃だな」
男は腕を組んで、二人を見下ろした。
「サポートジョブってのはな、メインのジョブとは別に、もうひとつジョブを登録できる仕組みだ。サポートジョブの能力が一部使えるようになる。メインのレベルの半分まで、サポの能力が反映されるんだ」
「つまり……メインが14なら、サポはレベル7までの能力が使えるってことですか?」
タルティーが確認すると、男は満足そうに頷いた。
「そうだ。飲み込みが早いな、坊主。例えばだ、戦士がサポートジョブで白魔道士を登録すれば、ケアルが使える戦士になれる。前で殴りながら自分で回復もできるってわけだ」
「えっ、それすごくない!?」
メルフィーが目を輝かせた。
「じゃあ、白魔道士がサポートジョブでモンクを登録したら——」
「殴れる白魔道士になるな」
「殴れる白魔道士! かっこいい!」
「……方向性がおかしくないですか、メルフィー」
タルティーの冷静なツッコミを、メルフィーは華麗に無視した。
「で、そのサポートジョブってどうやったら使えるようになるの?」
「セルビナに行け。港町セルビナに、サポートジョブを解放してくれる人がいる。ここからだと、コンシュタット高地を抜けて、バルクルム砂丘を越えた先だ」
「セルビナ……」
タルティーは、その名前を胸の中で反芻した。バストゥークの外の世界。まだ見ぬ場所。まだ知らない道。
「忠告しておくが、コンシュタット高地から先は、今まで相手にしてきたモンスターとは格が違う。油断するなよ」
男はそう言い残して、人混みの中に消えていった。
その夜、モグハウスに戻ったタルティーのもとに、メルフィーからメッセージが届いた。
『セルビナ、行こうよ!』
まっすぐだ。相変わらず、考えるより先に動くタイプのメルフィーらしいメッセージだった。
タルティーは少し考えてから、返事を送った。
『行きましょう。でも、準備はしっかりしてからですよ』
『やった! 明日さっそく出発しよ!』
『だから、準備をしてからって言って——』
『おやすみー!』
「…………」
タルティーは冒険者証をぱたんと閉じて、小さくため息をついた。
だが、その口元には、かすかに笑みが浮かんでいた。
翌朝。
二人は、いつもの岩の前で落ち合った。
「準備は……してきましたか?」
「うん! ばっちり!」
「本当ですか?」
「ばっちりだって! ほら、回復薬も買ったし、食料も詰めたし!」
メルフィーが背中の荷物をぽんぽんと叩いてみせた。タルティーは少し安心したように頷いた。
「じゃあ、行きましょう。北西に向かえば、コンシュタット高地に出るはずです」
「コンシュタット高地……どんなとこだろ」
「行ってみないとわかりませんね」
「だね。行こっ!」
二人は、いつもの狩り場を通り過ぎて、さらに先へと歩を進めた。見慣れたグスタベルグの荒野が続く。この辺りのモンスターは、もう二人にとっては脅威ではない。ミミズやハチが目に入っても、素通りできる程度には強くなっていた。
「最初の頃、ミミズ一匹にあんなに苦労してたのが嘘みたいだね」
「ケアルが使えなかった誰かさんのせいで、死にかけましたからね」
「まーだ言うー?」
「一生言いますよ」
「えぇー……」
笑い合いながら歩くうちに、景色が変わり始めた。
赤茶けた岩が減り、代わりに草が増える。空が広くなる。グスタベルグの狭い岩壁に囲まれた景色から、一気に視界が開けていく。
そして——。
「わぁ……!」
メルフィーが、思わず足を止めた。
目の前に広がっていたのは、どこまでも続く緑の高原だった。
コンシュタット高地。
グスタベルグの岩と砂の世界とは、まったく違う景色がそこにあった。なだらかな丘が波のように連なり、青い空との境目が霞んで見えるほどに広い。吹き抜ける風は、グスタベルグの乾いた砂風とは違って、どこか柔らかく、草の匂いを含んでいた。
「すっごい……こんな場所があったんだ!」
「きれいですね……バストゥークのすぐ近くに、こんな景色が広がっていたなんて」
二人は、しばらくその景色に見入っていた。
冒険者になってから、ずっとバストゥークとその周辺だけで過ごしてきた。世界はもっと広い——頭ではわかっていたつもりだったが、こうして実際に新しい景色を目にすると、その実感が胸の奥まで染み込んでくる。
「ねぇ、タルティー」
「はい?」
「冒険者になって、よかったね」
メルフィーが、風に髪をなびかせながら言った。
タルティーは、少しだけ目を細めて頷いた。
「はい。……よかったです」
だが、感動に浸っている余裕は、長くは続かなかった。
コンシュタット高地は、美しいだけの場所ではなかった。
「タルティー! あれ、ゴブリンじゃない!?」
メルフィーが指さした先に、小柄な人影があった。革の鎧を身にまとい、手にはナイフ。背中には大きなリュックサックを背負っている。
ゴブリン——グスタベルグにもいた獣人だ。バストゥーク周辺でのレベル上げの中で、何度か遭遇したことがある。最初は逃げ回っていたが、レベルが上がってからはなんとか倒せるようになっていた。
だが。
「……なんか、一回り大きくない?」
メルフィーが、眉をひそめた。タルティーも、同じことを感じていた。
グスタベルグにいたゴブリンとは、明らかに体格が違う。纏っている装備も上等で、ナイフではなく短剣を握っている。そして何より——こちらを見る目つきが、鋭い。
「グスタベルグのゴブリンとは……格が違いますね」
「あっちから来てない? こっち見てない?」
「…………見てますね」
「見てるよね!?」
ゴブリンが、二人に気づいた。そして、明らかにこちらに向かって走り出した。グスタベルグのゴブリンよりも、足が速い。
「逃げましょう!!」
「うん、逃げる!!」
二人は全力で走った。
グスタベルグのゴブリンなら、今の二人でも倒せる。だが、あの大きさ、あの装備、あの速さ——あれと戦って勝てるかどうか、判断がつかない。判断がつかないなら、逃げるのが正解だ。
幸い、二人の足はゴブリンよりも速かった。丘をひとつ越え、ふたつ越え、ようやく追手の気配がなくなったところで、息を切らせながら立ち止まった。
「はぁ……はぁ……ゴブリン、怖っ……」
「はい……はぁ……あの目つき、本気でしたね……」
「ていうかタルティー、脚ちっちゃいのにめっちゃ速くない?」
「必死ですからね……!」
ゴブリンとの遭遇をなんとかやり過ごし、二人は再び高地を進んだ。
道中、いくつかの脅威に遭遇した。高地に生息するモンスターは、バストゥーク周辺のものとは比べものにならないほど手強い。
中でも、二人の度肝を抜いたのは——大羊だった。
「…………でかい」
「でかいね」
丘の向こうから、のっそりと姿を現したそれは、羊だった。羊のはずだった。だが、その体は見上げるほどに巨大で、もこもことした白い毛並みの中から覗く目は、穏やかそうに見えて、どこか油断ならない光をたたえていた。
「あれ、羊だよね? 羊って、おとなしい生き物だよね?」
「おとなしいと……いいんですけど……」
二人は、大羊を刺激しないようにそっと迂回しようとした。
そのとき、メルフィーが小さな石を蹴った。
ころころと転がった石が、大羊の足元に当たった。
「…………」
「…………」
大羊が、ゆっくりとこちらを向いた。
「メルフィー」
「……うん」
「走りましょう」
「……うん」
次の瞬間、大羊が地面を蹴った。巨大な体からは想像もつかない速さで突進してくる。地響きが足元を伝わってくる。
「うわぁぁぁっ!!」
「踏まれる!! 踏まれますよ!!」
タルティーは走りながら、自分の背丈の何倍もある蹄が迫ってくるのを見た。あれに踏まれたら、文字通りぺしゃんこだ。
メルフィーがタルティーの腕をつかんだ。そのまま引っ張るようにして横に跳ぶ。二人が転がった直後、大羊の蹄が、さっきまで二人がいた場所を踏み抜いた。地面が揺れた。
「……危なかった……」
「ボク、今の踏まれてたら、即死でしたよ……」
「タルティー小さいもんね……」
「今それ言います!?」
大羊はこちらへの興味を失ったのか、再びのっそりと歩き去っていった。二人はしばらくその場に座り込んで、荒い息を整えた。
ゴブリンに追いかけられ、大羊に踏みつぶされそうになり、それでも二人は歩き続けた。
コンシュタット高地は広大だった。丘を越えても丘。草原を抜けても草原。方角を見失いそうになるたびに、タルティーが太陽の位置を確かめて、北西の方向を指し示した。
「タルティー、方向感覚すごいね」
「グスタベルグを何時間も歩いた経験が活きてます……まさかあの苦労が役に立つとは思いませんでしたけど」
「人生、何が役に立つかわかんないもんだねー」
「わかんないですね……」
やがて、高地の空気が変わり始めた。
草の丈が低くなり、足元の土が、少しずつ砂に変わっていく。風の中に、かすかに——ほんのかすかに、潮の匂いが混じっているような気がした。
「タルティー、見て……!」
最後の丘を越えたとき、メルフィーが声を上げた。
眼下に、真っ白な砂の世界が広がっていた。
どこまでも続く砂丘。太陽の光を受けて、白い砂が目に痛いほどに輝いている。砂丘の向こうは霞んでいて、その先に何があるのかは見えない。だが、風が運んでくるかすかな潮の匂いが、この先のどこかに海があることを教えてくれていた。
「これが……」
「バルクルム砂丘……」
二人は、言葉を失ってその光景を見つめた。
バストゥークの岩と鉄の世界しか知らなかった二人にとって、目の前に広がる一面の白い砂は、まるで別の世界だった。
風が、白い砂を舞い上げて二人の頬をなでた。
「きれい……すっごい、きれい……」
メルフィーが、ぽつりと呟いた。いつもの元気な声ではなく、ただ純粋に感動した、静かな声だった。
「はい……。来てよかった」
タルティーも、静かに頷いた。
だが、感動もつかの間。
「おい、そこの冒険者」
砂丘への入口に立つ、バストゥーク兵のガードが、二人に声をかけてきた。
厚い鎧に身を包み、大きな槍を手にした屈強な男だった。その表情は厳しく、しかしどこか心配そうな目で、二人を見ている。
「セルビナに向かうのか?」
「はい。サポートジョブを取りに行くんです」
「そうか。——ひとつ忠告しておく」
ガードは、砂丘の方に目を向けた。
「ここから先は、モンスターが一気に強くなる。コンシュタット高地とは比べものにならん。砂丘にはゴブリンの群れもいるし、アンデッドが徘徊する夜は特に危険だ。くれぐれも、気をつけて行けよ」
その言葉の重みは、二人にもしっかりと伝わった。
ゴブリンに追われ、大羊に踏み潰されそうになった、あの経験があるからこそ。この先には、もっと危険なものが待っている——その覚悟が、自然と胸の中に芽生えていた。
「わかりました。ありがとうございます」
タルティーが、丁寧に頭を下げた。
「気をつけるね! ありがとー!」
メルフィーが、明るく手を振った。
ガードは、ふっと表情を緩めた。
「……元気のいいやつらだな。無事にセルビナに着くことを祈ってるぞ」
二人は、白い砂丘の入口に立った。
目の前に広がるのは、未知の世界。今まで以上に強いモンスターが待ち受ける、危険な道のり。
だが、二人の足は、止まらなかった。
「行きましょう、メルフィー」
「うん。行こう、タルティー」
白い砂を踏みしめて、ふたりは歩き出した。
その小さな背中を、コンシュタットの丘から吹く風が、そっと押していた。
※注:現在のヴァナ・ディールでは、サポートジョブの取得にはレベル18以上が必要ですが、サービス開始当初はレベル制限がありませんでした。本作では当時の仕様に基づいています。