紡がれしクリスタルの導き
第6話「生き残るための技術」
セルビナの宿屋は、潮風の匂いがした。
バストゥークの宿とは違う、柔らかな空気が漂っている。窓の外からは波の音が聞こえてきて、鉄と鍛冶の音に慣れた耳には、不思議なほどに心地よかった。
タルティーは、ベッドに横になったまま、天井を見つめていた。
体は女神の祝福で回復している。傷も痣もない。だが、絶対回避の後遺症なのか、体の芯にだるさが残っていた。それ以上に——あの瞬間のことを、何度も反芻してしまう。
ゴブリンの群れを引きつけて走ったこと。三十秒が過ぎて、足がもつれたこと。背中に衝撃を受けて、吹き飛ばされたこと。
そして、目を覚ましたとき、メルフィーが泣いていたこと。
「……無理、しすぎたかな」
小さく呟いて、タルティーは目を閉じた。
隣の部屋では、メルフィーがとっくに眠っているだろう。あれだけ泣いた後だ。女神の祝福で魔力も使い果たしている。
明日からまた、冒険だ。
今日だけは、ゆっくり休もう。
翌朝。
二人は、セルビナの街を歩いていた。
港町セルビナは、バストゥークとはまるで雰囲気の違う街だった。白い石造りの建物が海風に晒されて、どこか柔らかい印象を受ける。港には船が停泊していて、漁師たちが朝の漁から戻ってきている。行き交う人々の中には、冒険者の姿も多かった。
「タルティー、体は大丈夫?」
「はい。もうすっかり大丈夫ですよ」
「……本当に?」
「本当です。メルフィーのおかげで」
メルフィーは、まだ少し心配そうな顔をしていたが、タルティーの穏やかな笑顔を見て、ようやく表情を緩めた。
「……ならいいけど。もう無茶しないでよ」
「善処します」
「善処じゃなくて約束して!」
「……善処しますよ」
「タルティーーー!」
サポートジョブの話を聞いたのは、セルビナの酒場だった。
この街にサポートジョブを解放してくれる人がいるはずだ。酒場の主人に尋ねると、すぐに教えてくれた。
「イザシオじいさんだろ。街のはずれに住んでるよ。変わり者だが、腕は確かだ」
二人は、言われた場所を訪ねた。
セルビナの街はずれ。港から少し離れた小さな家に、その老人はいた。
イザシオ。白い髭を蓄えた、小柄なヒュームの老人だった。だが、その目は鋭く、二人を見る視線には、長い年月の経験が宿っていた。
「冒険者か。サポートジョブを習得したい、と」
「はい。お願いします」
タルティーが頭を下げると、イザシオはふんと鼻を鳴らした。
「教えてやれんこともないが——ワシが教えるのは、ただのジョブの話ではない。生き残るための技術だ。それを学ぶからには、それ相応の腕を見せてもらわんとな」
「腕を見せる……?」
「バルクルム砂丘に棲むモンスターを倒し、その証を持ってこい。三種類のモンスターから、ひとつずつだ」
イザシオは、指を折りながら言った。
「まず、砂丘を飛び回るトンボ。やつを倒せば、腹の中に潜む寄生虫『ガガンボの腹虫』が手に入る」
「次に、砂浜に潜むカニ。やつの腹の部分の柔らかい甲殻『陸ガニのふんどし』だ」
「最後に——夜の砂丘を徘徊するガイコツ。アンデッドの一種だ。やつの頭蓋骨、『呪われたサレコウベ』を持ってこい」
二人は、顔を見合わせた。
トンボ。カニ。ガイコツ。
砂丘のモンスターだ。コンシュタット高地のゴブリンにすら追いかけ回された自分たちが、砂丘のモンスターと正面から戦って勝てるのか。
しかも昨日、砂丘のゴブリンの強さは身をもって知ったばかりだ。
「…………」
「…………」
どちらからともなく、声が漏れた。
「いや、無理でしょ……」
イザシオの家を出た二人は、なかば放心状態でセルビナの街を歩いていた。
「どうする、タルティー?」
「……正直、今のボクたちだけでは厳しいですね。レベルは15。砂丘のモンスターと戦うには、まだまだ力不足です」
「だよねぇ……もうちょっとレベル上げてから出直す?」
「それが無難だとは思いますけど……砂丘でレベルを上げるにしても、二人だけだとかなり危険ですし」
ため息をつきながら、二人はセルビナの入口へと向かっていた。とりあえず砂丘に出て、倒せそうなモンスターだけでもレベル上げの相手にしよう——そんな、半ば諦めの気持ちだった。
「なぁ、ちょっといいか?」
不意に、声をかけられた。
振り返ると、三人の冒険者が立っていた。
ひとりは、エルヴァーンの男性。重厚な鎧を身にまとい、大きな剣を背負っている。戦士だ。
ひとりは、エルヴァーンの女性。赤を基調としたローブに身を包み、細身のレイピアを腰に差している。赤魔道士だ。
そしてもうひとりは、ミスラの女性。黒いローブを纏い、長い杖を手にしている。黒魔道士だ。
「あんたら、もしかしてサポートジョブ取りに来たクチか?」
エルヴァーンの戦士が、気さくな口調で聞いてきた。
「は、はい。そうですけど……」
「やっぱりな。俺たちもだよ。サポートジョブを取りにセルビナまで来たはいいんだが——」
戦士は、後ろの二人を振り返った。赤魔道士の女性が苦笑し、黒魔道士のミスラが肩をすくめた。
「——三人じゃ戦力的に厳しくてな。回復が追いつかねぇんだ。赤魔のケアルだけじゃ、砂丘のモンスター相手は心もとない」
「それで、あなたたちを見かけて声をかけたの」
赤魔道士の女性が、にこりと笑った。
「白魔道士がいれば、回復はかなり安定するわ。それに——そちらのタルタルさん、シーフよね?」
「あ、はい。シーフです」
「シーフにはトレジャーハンターの能力があるでしょう? モンスターからアイテムが手に入りやすくなる。アイテム集めの効率が、ぐんと上がるはずよ」
「トレジャーハンター……?」
タルティーは、一瞬きょとんとした。
トレジャーハンター。それは、シーフが生まれ持つ特性のひとつだ。モンスターを倒した際に、通常よりもアイテムが手に入りやすくなる能力。シーフのジョブについて調べたとき、確かにそんな記述があったはずだが——。
「……すっかり忘れてました」
「忘れてたの!?」
メルフィーが目を丸くした。三人組の冒険者たちも、思わず笑いをこぼした。
「まぁ、新米のうちは覚えることが多いからな。気にすんな」
エルヴァーンの戦士が、からからと笑った。
「どうだ? 俺たちと一緒に組まないか。五人なら、砂丘のモンスター相手でもなんとかなるだろう」
タルティーとメルフィーは、顔を見合わせた。
渡りに船、とはまさにこのことだ。
「お願いします!」
「よろしくね!」
こうして、五人パーティが結成された。
バルクルム砂丘。
昨日、命からがら駆け抜けた砂の世界に、二人は再び足を踏み入れた。だが、今日は昨日とは違う。隣には、頼もしい仲間が三人いる。
「よし、まずはトンボからだ。あの辺に飛んでるやつだな」
エルヴァーンの戦士が、砂丘の上空を旋回するトンボを指さした。細長い体に、透き通った羽。一見すると美しいが、その大きさは人の背丈ほどもあり、近づけば鋭い牙で襲いかかってくる。
「俺が前に出て引きつける。赤魔、弱体を頼む」
「了解。スロウとディアでいいわね」
「黒魔は、隙を見て精霊で叩け。白魔はひたすら回復。シーフは——」
戦士がタルティーを見た。
「背後に回り込んで、不意打ちを狙え。シーフの本領発揮だ」
「不意打ち……わかりました!」
「行くぞ!」
戦士が飛び出した。
剣を構え、トンボの前に躍り出る。トンボが反応して急降下してくる——その瞬間、赤魔道士が呪文を唱えた。
「スロウ!」
トンボの動きが、目に見えて鈍くなった。翅の回転が遅くなり、空中での機動力が落ちる。続けて、赤魔道士がもう一発。
「ディア!」
光の粒子がトンボにまとわりつき、その体を蝕んでいく。弱体魔法と継続ダメージ。赤魔道士の真骨頂だ。
戦士が、鈍くなったトンボに斬りかかった。重い一撃がトンボの胴体を捉える。盾で攻撃を受け止め、隙を見て反撃する。攻守の切り替えが、よどみなく流れていく。
「今だにゃ!」
ミスラの黒魔道士が、杖を振りかざした。
「ファイア!」
炎の弾がトンボに直撃した。弱体化した体に、精霊魔法の威力が容赦なく叩き込まれる。トンボが悲鳴のような音を上げた。
「白魔道士、回復お願いします!」
「任せて! ケアル!」
メルフィーが戦士に向けてケアルを唱えた。癒しの光が傷を塞いでいく。五人の中で唯一の白魔道士——その回復力は、三人組にとっても心強かった。
そして、タルティーは動いていた。
みんながトンボの正面で戦っている間に、気配を消してトンボの背後に回り込む。足音を殺し、姿勢を低くし、相手の死角に入る。
——不意打ち。
シーフが持つ、最も基本的にして最も強力な技術。相手に気づかれないまま、背後から一撃を叩き込む。正面から戦えば苦戦する相手でも、この一撃で大きなダメージを与えられる。
タルティーは、ナイフを逆手に握った。
今だ。
「——はっ!」
一瞬の踏み込みから、トンボの背中にナイフを突き立てた。正面からの攻撃とは比べものにならない手応え。刃が深く食い込み、トンボが大きくのけぞった。
「ナイスだ、シーフ! とどめ行くぞ!」
戦士が渾身の一撃を叩き込んだ。
トンボが、砂の上に墜落した。
それは、タルティーとメルフィーがこれまでに経験したことのない戦いだった。
今までは、二人だけで、がむしゃらに戦っていた。タルティーが前に出て、メルフィーが回復して。それだけだ。戦術と呼べるものはなく、ただ目の前の敵を倒すことに必死だった。
だが、五人パーティは違う。
戦士が敵の注意を引きつけ、赤魔道士が敵を弱体化し、黒魔道士が火力で叩き、白魔道士が回復し、シーフが背後から致命的な一撃を与える。ひとりひとりの役割が明確で、それが噛み合うことで、単独では太刀打ちできない相手にも勝てる。
パーティの力というのは、こういうことなのだ。
トンボの次は、カニだ。砂浜に潜む巨大なカニは、硬い甲羅と鋭い鋏を持っていたが、赤魔道士の弱体化と黒魔道士の精霊魔法の前には、その守りも意味をなさなかった。タルティーの不意打ちが甲羅の隙間を突き、戦士のとどめの一撃が鋏を叩き折る。
そしてガイコツ——アンデッドだ。骨だけになった体でゆらゆらと彷徨う姿は、見た目だけで背筋が凍る。だが、アンデッドには弱点がある。
「ケアル!」
メルフィーが唱えたケアルの光が、ガイコツに直撃した。本来は傷を癒すための白魔法が、アンデッドに対しては逆効果——ダメージを与える武器になる。
「アンデッドだったら白魔の出番だにゃ! アンデッドにはケアルが効くにゃ!」
「ケアルって攻撃にも使えんだ!?」
「アンデッド限定だけどな。癒しの力が、あいつらには毒になるんだ」
「知らなかった……!」
メルフィーの目が輝いた。回復だけではない。自分にも、攻撃で貢献できる場面がある。それが嬉しかった。
朝から始まった狩りは、日をまたいで翌日の夕方まで続いた。
砂丘のトンボ、カニ、ガイコツを次々と倒していく中で、タルティーとメルフィーは確実に強くなっていた。経験を積むたびに、体が軽くなる。判断が速くなる。仲間との連携が、より滑らかになる。
タルティーの不意打ちは、回を重ねるごとに鋭さを増していた。気配の消し方、回り込むタイミング、ナイフを突き立てる角度——実戦の中でしか学べないことが、体に刻まれていく。
メルフィーのケアルも、格段に成長していた。誰がどれだけダメージを受けているか、次にどのタイミングで回復が必要か。五人の状態を常に把握しながら、的確に魔法を振り分ける。二人パーティのときとは、求められる技術がまるで違った。
夕暮れの砂丘に、五人は座り込んでいた。
「レベル……18になってるね」
メルフィーが、冒険者証を確認しながら言った。
「昨日は15だったのに……3も上がったんだ」
「五人で組むと効率がダンチだからにゃ」
ミスラの黒魔道士が、尻尾をぱたぱたと揺らしながら笑った。
「それと——」
エルヴァーンの戦士が、手に入ったアイテムを広げる。
ガガンボの腹虫。陸ガニのふんどし。呪われたサレコウベ。
「全員分、揃ったな」
「やった……!」
「トレジャーハンターのおかげね。タルタルさんがいなかったら、こんなに早くは集まらなかったわ」
赤魔道士の女性が、タルティーに微笑みかけた。タルティーは少し照れたように頭を掻いた。
「ボクは、ただ一緒に戦ってただけですよ……」
「それが大事なんだにゃ。パーティってのは、全員が自分の役割を果たすから強いんだにゃ」
黒魔道士のミスラが、ぴっと人差し指を立てて言った。
五人は、セルビナに戻った。
街の入口で、三人組の冒険者たちが足を止めた。
「俺たちは、このままセルビナの宿に泊まって、明日の早朝に出発し、ジュノに向かうつもりだ」
「ジュノ……」
「大公国ジュノ。大陸の中心にある大きな街だ。砂丘を抜けたさらに先にある。——いつか行くことになるだろうから、覚えておくといい」
エルヴァーンの戦士が、タルティーの肩に手を置いた。タルティーの肩よりも、戦士の手のひらの方が大きいくらいだったが、その重みは温かかった。
「助かったよ。あんたらがいなかったら、俺たちだけじゃアイテムが全然集まらなかったと思う。ありがとう。また機会があったら、よろしくな」
「こちらこそ、ありがとうございました。皆さんのおかげで、パーティで戦うということが、どういうことか学べました」
タルティーが深く頭を下げると、メルフィーも隣で頭を下げた。
「ありがとね! すっごく楽しかった! またどこかで会えたらいいね!」
「ああ、きっとな。——じゃあな、元気でやれよ!」
手を振って、三人組は去っていった。赤魔道士が優雅に微笑み、黒魔道士が尻尾を振って別れの挨拶をする。
二人は、その背中を見送った。
三人組と別れた後、タルティーとメルフィーは、まっすぐイザシオの家へ向かった。
三種類のアイテムを差し出すと、イザシオはひとつひとつを手に取り、じっくりと確かめた。
「……ふむ。確かに、トンボ、カニ、ガイコツ。すべて本物だ」
「これで、サポートジョブを教えていただけますか?」
タルティーが尋ねると、イザシオは白い髭の奥で、かすかに笑った。
「いいだろう。約束だからな。——教えてやろう、生き残るための技術を」
イザシオの伝授は、短いが、密度の濃いものだった。
サポートジョブの仕組み。メインジョブとの連携。能力がどのように反映されるか。そして、何をサポートに選ぶかで、冒険者としての戦い方が大きく変わるということ。
「忘れるな。サポートジョブは、お前たちの弱点を補うためのものだ。自分に足りないものを見極め、それを補う選択をしろ。それが、生き残るということだ」
イザシオの言葉は厳しかったが、その目には、若い冒険者への期待が滲んでいた。
「ありがとうございます、イザシオさん」
「ありがとー! おじいちゃん!」
「……おじいちゃんはやめろ」
セルビナの港。
夕暮れの海を眺めながら、二人は並んで座っていた。
サポートジョブを習得した。これで、冒険者としてまたひとつ、強くなれる。
「ねぇ、タルティー」
「はい?」
「今度は、サポートジョブのレベル上げだね」
「そうですね。何をサポートにするか、考えないと」
「私はねー……やっぱり、もっと殴れるようになりたいかなー」
「……そっちに行くんですか」
「冗談だって。……半分くらい」
「半分は本気じゃないですか」
タルティーがため息をつくと、メルフィーがけらけらと笑った。
波の音が、二人の笑い声に重なる。
「じゃ、帰ろっか。バストゥークに」
「はい。帰りましょう。——今度は、砂丘のゴブリンに気をつけて」
「あはは……それは本当に気をつけないとね……」
二人は立ち上がり、セルビナの街を後にした。
来たときは命がけの道のりだったが、帰り道は少しだけ足取りが軽い。レベルが上がったこともある。だが、それ以上に——自分たちが、ほんの少しだけ強くなったことを、二人とも感じていた。
白い砂丘を歩きながら、タルティーはふと思った。
今日、出会った三人の冒険者。彼らとの戦いの中で学んだこと。パーティの力。役割を果たすということ。ひとりでは倒せない敵も、仲間がいれば倒せる。
——ジュノ、か。
エルヴァーンの戦士が口にした、その街の名前を、タルティーは心の中で反芻した。
いつか、行くことになるのだろう。
その日が来るまでに、もっと強くならなければ。
夕焼けに染まった砂丘を、二つの影が歩いていく。ひとつは小さく、ひとつは少し大きい。
その足跡は、白い砂の上に、ゆっくりと、だが確かに刻まれていった。