紡がれしクリスタルの導き
第13話「涙の先に」
朝が来た。
ジュノのモグハウスの窓から、白い光が差し込んでいる。街の喧噪が、遠くから聞こえてくる。いつもと変わらない朝のはずだった。
タルティーは、ベッドの中にいた。
目は覚めている。とっくに覚めている。だが、起き上がれなかった。
布団を頭まで引き上げて、小さな体を丸めたまま、じっとしていた。
何度も、あの声が頭の中で繰り返される。
——タルタルのシーフなんてクソだな。
メルフィーは、あんなやつの言葉を信じちゃダメだと言ってくれた。タルティーの不意打ちはすごいんだと、昨日のリーダーだって褒めてくれたじゃないかと。
わかっている。頭では、わかっている。
でも。
——全然ダメージが出てねぇじゃねぇか。
——お荷物だな。
あの言葉が、心の奥に突き刺さったまま、抜けない。
もしかしたら。
もしかしたら、ボクがタルタルなのに前衛をやっているから、メルフィーはしなくていい苦労をしているんじゃないか。
本当なら、戦士やモンクが前衛にいれば、もっと早くモンスターを倒せるはずだ。もっと効率よくレベルが上がるはずだ。メルフィーの回復の負担も、もっと少なくて済むはずだ。
なのに、タルタルのボクがシーフだから——。
タルタルのシーフなんてクソ。
お荷物だな。
いつまで経ってもモンスターが倒せない。
タルティーなんてクソ。
タルティーなんてお荷物。
クソ。
お荷物。
クソ——。
「…………やめて」
小さな声で呟いた。自分の頭の中の声に向かって。でも、声は止まらなかった。ぐるぐると、同じ言葉が回り続ける。
ズキン。
体に、鋭い痛みが走った。
昨日、戦士に蹴られた場所だ。脇腹のあたり。ケアルで表面の傷は治したが、打撲の鈍い痛みが残っている。
——メルフィーは、大丈夫だろうか。
突き飛ばされたとき、右腕を打ちつけていた。痣になっていないだろうか。痛くないだろうか。
ボクのせいだ。
ボクがパーティにいたから、メルフィーまで——。
「…………」
涙が、こぼれた。
布団の中で。小さく丸まったまま。声を殺して。
タルタルの小さな体が、さらに小さくなった。膝を抱え、顔を埋めて、声を出さないように唇を噛んだ。昨日と同じように。でも、昨日よりもずっと強く。
涙が、止まらなかった。
どれくらい、そうしていただろう。
涙も、嗚咽も、時間の感覚も、すべてが曖昧になっていた。布団の中の暗闘だけが、タルティーの世界のすべてだった。
——コンコン。
扉を叩く音が、かすかに聞こえた。
モーグリが対応しているらしい。小さな声のやりとりが聞こえる。タルティーは動けなかった。動く気力がなかった。
それから、少しの間があった。
そして——。
「タルティー!!!!」
突然、布団が剥ぎ取られた。
冷たい空気が、丸まった体に襲いかかる。眩しい光が、涙で腫れた目を刺した。
メルフィーだった。
タルティーのモグハウスの中に、メルフィーが立っていた。布団を両手で引っ張って、タルティーの顔を覗き込んでいる。
「いつまでも出てこないから——」
メルフィーの声が、途切れた。
タルティーの顔を見たからだ。
涙の跡。赤く腫れた目。ぐしゃぐしゃになった表情。泣いていたことが、一目でわかる顔。
タルティーは——泣き顔を、見られてしまった。
「…………」
メルフィーの目が、大きく見開かれた。
そして——すぐに、悲しそうな顔になった。
「タルティー……」
メルフィーの声は、小さかった。
タルティーは何も言えなかった。泣き顔を見られた恥ずかしさと、まだ止まらない涙と、それでも何か言わなければと思う気持ちが、全部ごちゃまぜになって、言葉にならなかった。
メルフィーは、何も聞かなかった。
何があったのかなんて、聞くまでもなかった。昨日のことが——あの言葉が、タルティーの心を壊しかけていることは、見ればわかった。
メルフィーは、タルティーの横に座った。
ベッドの縁に腰を下ろして、ただ、隣にいた。何も言わずに。
静かな時間が流れた。
窓の外から差し込む光が、ゆっくりと角度を変えていく。ジュノの喧噪が、遠い世界の出来事のように聞こえる。
やがて、メルフィーの目から、涙がぽろりとこぼれた。
「ジュノ……」
メルフィーが、小さな声で言った。
「来なければ、よかったね」
「…………」
「私が、行こうって言ったから。タルティーが行きたいって言ったとき、すぐに行こうって。……あのとき、もうちょっと考えてたら、タルティーにこんな悲しい思いさせなかったのかな……」
メルフィーの声が、震えていた。
「私のせいだ……タルティーが、あんなひどいこと言われるような場所に、連れてきちゃった……」
ぽろぽろと、メルフィーの頬を涙が伝っていく。
その姿を見た瞬間——タルティーの中で、何かが動いた。
タルティーは、慌てて起き上がった。
そして、メルフィーに向かって座り直した。
「メルフィー」
「…………」
「メルフィー、違う」
タルティーの声は、まだ少しかすれていた。泣いた後の声だ。でも、そこには、さっきまでなかった強さがあった。
「ジュノに来なければよかったなんて、そんなこと、ない」
「でも……」
「ないです」
丁寧語が、戻った。
「ジュノに来たから、雪を見れた。クフィムで素晴らしいパーティを経験できた。チョコボも見れたし、飛空艇のことも知った。サンドリアやウィンダスにも行きたいって思えた。——全部、ジュノに来たからです」
「タルティー……」
「昨日のことは……つらかったです。ずっと、あの言葉が頭から離れなくて。ボクがタルタルだから、シーフだから、みんなに迷惑をかけてるんじゃないかって。メルフィーにケガまでさせて。……そう思ったら、起き上がれなかった」
タルティーは、一度言葉を切った。
小さな拳を、膝の上でぎゅっと握った。
「でも——もう決めました」
「…………」
「ボクは、もっと強くなります」
タルティーの目が、メルフィーをまっすぐに見た。涙の跡が残った目。赤く腫れた目。でも、その奥にある光は——揺るぎなかった。
「どんなときでも、メルフィーを守れるように。タルタルだからとか、シーフだからとか、そんなの関係ない。ボクは、ボクのやり方で強くなる。クソだなんて、誰にも言わせない」
「…………」
「だから、大丈夫」
タルティーが、笑った。
泣いた後の、少しぎこちない笑顔だった。目はまだ赤くて、頬にはまだ涙の跡が残っていて、お世辞にもかっこいいとは言えない顔だった。
でも——メルフィーがこれまでに見た中で、一番強い顔だった。
「…………」
メルフィーの目に、まだ涙が溜まっていた。
でも、その涙の向こうで——笑顔が、ゆっくりと浮かんだ。
泣きながら笑う、という矛盾した表情。でも、不思議と、それが一番メルフィーらしかった。
ようやく絞り出した一言。
「——うん」
それだけだった。
でも、それだけで十分だった。
「よかったクポ……」
部屋の隅で、モーグリが小さな翼で顔を拭っていた。
涙だ。ぽろぽろと、もらい泣きをしている。
「心配したクポ……。タルティーがいつまでも起きてこないから、メルフィーを呼んだクポ……よかったクポ……」
「モーグリ……」
「ありがとう、モーグリ。呼んでくれて」
メルフィーが、モーグリの頭を優しく撫でた。モーグリは「えへへクポ」と照れたように笑ったが、まだ涙は止まっていなかった。
窓の外では、ジュノの街がいつもと変わらず動いている。
冒険者たちが行き交い、商人が声を張り上げている。
何も変わっていない。世界は、何も変わっていない。
でも——タルティーの中で、何かが変わった。
折れかけた心の中に、ひとつの芯が通った。
細くて、まだ頼りないかもしれない。でも、確かにそこにある。
もっと強くなる。
誰にも、クソだなんて言わせない。
どんなときでも、メルフィーを守れるように。
——それが、タルティーが初めて心に刻んだ、冒険者としての誓いだった。
