紡がれしクリスタルの導き
第19話「ボクに構わないで」
チョコボの免許を取った翌日の朝。
タルティーは、いつものようにモグハウスの扉を開けた。今日は何をしようか。レベル上げの続きをするか、それともバストゥークに戻ってミッションの情報を集めるか。メルフィーと相談して——。
足が、止まった。
モグハウスのすぐ近く。通りの向かい側に、数人の冒険者が立っていた。
その中に——見覚えのある姿があった。
ヒュームの男。大柄な体。粗暴な目つき。
あの戦士だ。
クフィムで、タルティーをパーティからキックした男。「タルタルのシーフなんてクソだな」と吐き捨てた男。メルフィーを突き飛ばして、ケガをさせた男。
タルティーの体から、さーっと血の気が引いていった。
男は、以前よりもさらに高級そうな重装備を身にまとっていた。背中には、人の背丈ほどもある巨大な両手剣が背負われている。あの頃よりもかなりレベルが上がっているのだろう。周りにいる仲間も、同じように上等な装備をしている。
——見つかる前に、通り過ぎなければ。
タルティーは、メルフィーのモグハウスの方を見た。ちょうど、メルフィーが扉を開けて出てきたところだった。
「おはよ、タルティー。今日は——」
タルティーは素早くメルフィーの傍に寄り、目くばせをした。視線で、通りの向こうにいる男を示す。
メルフィーの表情が、一瞬で変わった。気づいた。
二人は、何も言わずに歩き始めた。男たちに背を向けて、反対方向へ。気づかれないように。足音を殺して。自然な足取りで。ただ通り過ぎるだけだ。何事もない。ただの朝の散歩だ——。
「お?」
声が聞こえた。
背中に、視線が突き刺さった。
「あのときのクソシーフじゃねぇか」
タルティーの心臓が、ぎゅっと握りつぶされたように痛んだ。
足が止まった。止めたくなかったのに、体が言うことを聞かなかった。
「おい、無視すんなよ。聞こえてんだろ」
背後から、足音が近づいてくる。重い足音。金属の装備がぶつかり合う音。
「タルティー、気にしないで。行こう」
メルフィーが、小声で言った。腕を引こうとする。
だが——男の声は、止まらなかった。
「なんだぁ?」
男が、タルティーの前に回り込んできた。見下ろしている。ヒュームとタルタルの身長差。上から覗き込む目は、嘲笑に満ちていた。
「クソシーフから、クソ戦士になったのか?」
タルティーの装備が変わっていることに、男は気づいていた。革の軽装備ではなく、金属の重装備。腰には片手剣。シーフではなく、戦士だ。
「あぁ、戦士だけに——真っ先に戦死しそうだな!」
男が、げらげらと笑った。下品な笑い声だった。周りにいる仲間も、腹を抱えて笑っている。
「ぎゃはははは!! クソ戦士! 戦死! うまいこと言ったな、俺!」
笑い声が、朝のジュノの通りに響いた。
「タルティー、気にしないで。早く行こう」
メルフィーが、タルティーの手を取った。
そのまま、早歩きで通り過ぎようとする。男のことなんか相手にしない。こんな人間に、大切な時間を使う必要はない。ただ、離れればいい——。
「おっ、女の子に守られて逃げるのか?」
男の声が、背中に追いすがる。
「やっぱりタルタルはお子ちゃまだな! 同情してもらえて羨ましいなぁ、なぁ、おい!」
仲間たちが、また笑った。
メルフィーに手を握られたまま、タルティーは歩き続けた。足が震えていた。手も震えていた。でも、歩いた。歩けば離れられる。歩けば——。
背中に、衝撃が走った。
蹴られた。
通り過ぎようとしたタルティーの背中を、男の足が蹴った。小さな体が前のめりに崩れ、石畳に手をついた。
「やめてください!」
メルフィーが、タルティーを庇うように前に出た。
「何が楽しいの!? 人を笑って、蹴って——」
「あぁ?いつもいつもうるせぇんだよ、てめーは!」
男の腕が、メルフィーを突き飛ばした。
メルフィーの体が、壁に叩きつけられた。
「——っ!」
背中と、膝。壁にぶつかった衝撃で足がもつれ、膝から地面に崩れ落ちた。擦りむいた膝から、赤い血がにじんでいる。
タルティーは、地面に手をついたまま、それを見た。
メルフィーが——また、あの男に傷つけられている。
膝から血が出ている。痛そうな顔をしている。あの日と同じだ。クフィムの雪原で突き飛ばされた、あの日と。
——また、だ。
また、ボクのせいで。
タルティーの中で、何かが灼けた。
「ふざけるなぁぁぁっ!!」
叫んだ。
地面を蹴って立ち上がり、男に向かって突進した。小さな体に鎧をまとって、全力で。
——だが。
身長差が、ありすぎた。
レベル差が、ありすぎた。
男が、タルティーの突進を片手で受け止め、そのまま持ち上げた。タルタルの体は、ヒュームの片手で簡単に持ち上がってしまう。
「おいおい、やる気かよ、お子ちゃまが」
そして、蹴った。
腹部への、強烈な一撃。
タルティーの体が、通りの反対側まで吹き飛んだ。石畳の上を転がり、壁にぶつかって止まった。
「がっ……」
息ができなかった。腹に走る激痛で、体が丸まる。
「お子ちゃまは、さっさとおウチに帰んな!」
男が、また笑った。大声で。仲間たちも。
「ぎゃははは!」
笑い声が遠ざかっていく。男たちは満足したのだろう。大笑いしながら、通りの向こうへ消えていった。
「タルティー! 大丈夫!?」
メルフィーが、膝の痛みも忘れて駆け寄ってきた。
タルティーは、壁にもたれたまま座り込んでいた。腹を押さえて、俯いている。鎧が歪んでいる。口の端に、血が滲んでいる。
「タルティー……! すぐケアルするから——」
メルフィーが杖を構えようとした。
だが、タルティーは動かなかった。
俯いたまま。何も言わない。
「タルティー?」
メルフィーが、そっと手を伸ばした。タルティーの肩に触れようとした。
——その手を、タルティーが払った。
「…………え?」
メルフィーの手が、宙を切った。
「もう……ボクに構わないでください」
タルティーの声は、低かった。震えていた。だが、はっきりと聞こえた。
「えっ……? タルティー、何言って——」
「ボクのそばにいたら、メルフィーに危害が及ぶ」
「え——」
「あの日も。今日も。ボクがいるから、メルフィーがケガをする。ボクが——ボクなんかの近くにいるから——」
声が、途切れた。
タルティーは、まだ俯いたままだった。顔は見えない。だが、石畳の上に——ぽたり、と。小さな水滴が落ちた。
一粒だけ。
タルティーは、その涙を拭おうとしなかった。拭う暇もなく、立ち上がった。
「だから、もう……ボクのことは、放っておいてください」
そう言い終わらないうちに、タルティーは走り出した。
「タルティー……!」
メルフィーが名前を呼んだ。だが、タルティーは振り返らなかった。
小さな体が、鎧の音を響かせながら、通りの向こうへ消えていく。
「タルティー——!!」
メルフィーの声が追いかけた。だが、タルティーは止まらなかった。
走って、走って、ジュノの街の中に消えていった。
通りに、メルフィーひとりが残された。
膝から血が流れている。壁にぶつけた背中が痛い。
でも——そんなものは、大したことはなかった。
痛いのは、そこじゃない。
タルティーの手が、自分の手を払った。あの小さな手が。いつもは穏やかで、優しくて、小さいのに頼もしかったあの手が。
——もうボクに構わないでください。
その言葉が、メルフィーの胸に突き刺さっていた。
膝の傷より、ずっと深く。
「タルティー……」
メルフィーは、タルティーが消えた方を見つめたまま、動けなかった。
朝のジュノの通りを、何も知らない冒険者たちが行き交っていく。誰もメルフィーに気づかない。壁際にしゃがみ込んだ少女に、誰も目を向けない。
膝の血が、石畳に落ちた。
それよりもずっと——心が、痛かった。
