紡がれしクリスタルの導き
第21話「再会」
翌朝。
タルティーは、モグハウスの扉の前で、ほんの少しだけ立ち止まった。
昨夜のことが、頭の中にある。星空の下で交わした言葉。メルフィーの涙。約束。
どう接したらいいだろう。
昨日の朝のように「おはようございます」と言えばいいのか。でも、その後に何を言えばいいのかわからない。何事もなかったように振る舞うのも違う気がするし、昨夜のことに触れるのも——。
考えても答えが出ないまま、タルティーは扉を開けた。
——同時に、隣のモグハウスの扉も開いた。
メルフィーが、出てきた。
ぴたり、と目が合った。
「…………」
「…………」
二人とも、同じタイミングで出てきてしまった。
「おはよう」
メルフィーが、先に言った。いつもより少しだけ小さな声で。
「おはようございます」
タルティーも、返した。いつもより少しだけぎこちなく。
その後——沈黙。
何を言えばいいのか。メルフィーも同じことを考えているのが、表情でわかった。口を開きかけて、閉じて、また開きかけて——。
「あっ!」
突然、すぐ目の前から声が上がった。
二人ではない。第三者の声だ。
顔を上げると、ひとりの男のエルヴァーンが、こちらを指さして驚いた顔をしていた。長身のエルヴァーンらしい端正な顔立ちに、見覚えのある——。
二人の記憶が、同時に繋がった。
「あーっ!!」
声が重なった。
あの日。砂丘を全力で駆け抜けていった、あのエルヴァーン。背後にゴブリンの群れを従え、「すまないっ! 先に行くっ!」と叫びながらセルビナの門に飛び込んだ——あの冒険者だ。
「あのときの!」
「や、やっぱり! 君たちだよね!? あのときの——砂丘で——ゴブリンが——」
エルヴァーンは、二人の顔を見て、みるみるうちに申し訳なさそうな表情になった。
「あのときは、本当にすみませんでした……」
深々と頭を下げた。
タルティーの脳裏に、あの日の光景がよみがえった。
ゴブリンの群れに追いかけられて駆け抜けていくエルヴァーン。セルビナの門前にゴブリンが溜まり、入れなくなった二人。木の陰から現れたゴブリン。絶対回避。吹き飛ばされて門に転がり込んだタルティー。メルフィーの女神の祝福。
——そして、泣きじゃくるメルフィーの横で、気づかれないようにそそくさと去っていったエルヴァーン。
本当ですよ、死にかけたんですからね——そう言いたい気持ちがなかったと言えば嘘になる。
だが。
あの出来事がなければ、タルティーは絶対回避を実戦で使うことはなかったかもしれない。メルフィーの女神の祝福も。そして何より——あの日の経験が、二人の絆を深めたのは間違いなかった。
「いえ、あなたも含めて、みんな無事でよかったですよ」
タルティーは、穏やかに言った。
「そうそう。あのときは大変だったけど、今となってはいい思い出だし」
メルフィーも、からりと笑った。
その言葉に、エルヴァーンは少し救われたような顔をした。だが、まだ罪悪感が残っているのか、真剣な表情で続けた。
「せめてもの償い、というわけではありませんが——もしよかったら、うちのLSのメンバーを呼ぶので、レベル上げに行きませんか? 絶対に稼げますので」
LS——リンクシェル。仲間同士で結成する、冒険者のギルドのようなものだ。このエルヴァーンは、そのリンクシェルのリーダーをやっているらしい。
タルティーとメルフィーは、顔を見合わせた。
さっきまでの気まずさが、嘘のように消えていた。
「もちろん!」
二つ返事で、即答した。
エルヴァーンのリーダーがリンクシェルで呼びかけると、ものの数分でメンバーが集まった。
もう一人の男のエルヴァーンはモンク。屈強な体つきで、拳に巻いた包帯が歴戦の証だ。
女のヒュームは戦士。タルティーと同じジョブだが、装備は一段上で、使い込まれた大剣を背負っている。
ガルカは——見たことのないジョブだった。楽器を手にしている。
「あの、あのガルカさんのジョブは……?」
「ああ、吟遊詩人だよ」
「吟遊詩人……!」
「私はナイトだけどね」
リーダーが、自分の鎧を軽く叩いた。ナイト。重厚な鎧に大きな盾。戦士とは違う、より防御に特化した前衛ジョブだ。
「ナイトと吟遊詩人……初めて見ました」
「これらはエキストラジョブといってね。レベル30以上で特定のクエストをクリアすると開放されるんだ。他にも暗黒騎士、獣使い、狩人なんかがある」
「エキストラジョブ……」
タルティーの目が、かすかに輝いた。レベル30以上で開放される、新しいジョブ。まだ自分たちの知らない世界が、こんなところにもあるのだ。
「さて、狩場だけど」
リーダーが、メンバーを見回した。
「二人にはちょっと早い狩場かもしれないけど、このメンツなら——ベヒーモスの縄張りにいる骨にしようか」
「おーけー」
「了解です」
「任せろ」
メンバーたちが、あっさりと頷いた。
「ベヒーモスの縄張り……?」
「クフィムの先にある場所だよ。行けばわかる」
六人はクフィムへ向かった。
雪原を抜け、白い大きな建造物——以前もちらりと見えていたが、近くで見るとその大きさに改めて圧倒される——の脇を通り過ぎ、さらに奥の洞窟へ。
洞窟を進んでいくと、空気が変わった。冷たいクフィムの空気から、重く、湿った空気へ。洞窟の遥か先には、何か巨大な生き物の気配がする。
さらに進んで行くと——広大な空間が広がっていた。
「ここが、ベヒーモスの縄張りだよ」
薄暗い空間の中に、骨だけになったアンデッドが——何体も、うろうろと徘徊していた。
「あの骨を狩るんですか?」
「そう。ここは骨が次々に湧いてくるから、休憩している余裕はない。ずっと戦い続けることになる」
「えっ、ずっと……?」
「大丈夫。吟遊詩人が臨機応変にHPやMPを回復してくれるから、心配はいらない」
リーダーが、ガルカの吟遊詩人を見た。ガルカは無言で頷き、楽器を構えた。
「連携だけど、黒魔道士がいないから、マジックバーストは考えなくていい。戦士がレッドロータスを撃って、それに合わせてモンクが不意打ちコンボを叩き込む」
「不意打ちコンボ……モンクがサポートジョブにシーフを入れてるのは、そのためですか」
「察しがいいね。その通りだよ」
リーダーが、にこりと笑った。
「タルティーは、ナイトの私と一緒に前衛で叩いてくれ。メルフィーは回復に専念。ただし、吟遊詩人がMP回復の歌を歌ってくれるから、いつもより余裕があるはずだ」
「わかりました!」
「はいっ!」
女戦士は、武器を大剣から片手剣に持ち替えていた。タルティーが持っている剣よりも幅が広く、長い。
「よし——行くよ」
レベル上げが始まった。
——それは、今までに経験したことのない戦闘だった。
ナイトのリーダーが、骨に向かって突進した。盾を構え、挑発で注意を引きつける。骨の攻撃を盾で受け止め、反撃の隙を与えない。戦士も挑発で注意を引き付けられるが、まるで安定感が違う。ナイトは、がっちりとモンスターの注意を固定して離さなかった。
タルティーは、ナイトの横で片手剣を振るった。骨の隙を狙って斬りつける。そして——。
「レッドロータス!」
ヒュームの女戦士が、技を放った。炎を帯びた斬撃が骨に食い込む。
その直後。
モンクのエルヴァーンが、一瞬で骨の背後に回り込んだ。シーフのサポートで気配を消し、不意打ちの態勢から——。
「コンボ!」
連続した拳打が骨を叩く。技連携が成立し、力の奔流が骨の体を引き裂いた。
骨が、一瞬で崩れ落ちた。
「…………速い」
タルティーは、呆然とした。今まで経験したどのパーティよりも、圧倒的に速い。一体の骨を倒すのに、ほんのわずかな時間しかかかっていない。
だが——驚いている暇はなかった。
「次、来てるよ」
吟遊詩人のガルカが、いつの間にか新しい骨を連れてきていた。そして、楽器を奏でる。低い旋律が響き渡ると——骨が、ふらりとよろめいて、眠るように動きを止めた。
ララバイ。歌で敵を眠らせる技だ。
「今のうちに回復を。——次の骨、すぐに行くよ」
戦闘中、吟遊詩人は休む暇がなかった。
攻撃力が上がる歌を歌った。前衛の剣と拳が、目に見えて鋭くなる。
HPが回復する歌を歌った。前衛が受けた傷が、ゆっくりと癒えていく。
そして時折、前衛から離れてメルフィーの近くに移動し、別の歌を歌った。メルフィーだけに聴こえるように。するとメルフィーの魔力が、静かに回復していく。
「すごい……MPが回復してる……!」
「吟遊詩人の歌は、範囲内の味方にだけ効果があるんだ。離れた場所で歌えば、特定の人にだけ効果を届けられる」
そして、歌い終えた吟遊詩人は、いつの間にか次の骨を連れてきて、すぐ近くで眠らせていた。
戦闘が終わる頃には、もう次の獲物が準備されている。
ノンストップ。文字通り、休みなしの連続戦闘だった。
一体、また一体と、骨が倒れていく。
タルティーは、このパーティの精密さに舌を巻いていた。
ナイトが壁になり、戦士とモンクが火力を出し、吟遊詩人が回復と支援と次の準備を同時にこなし、白魔道士が全員の体力を維持する。六つの歯車が、完璧に噛み合って回っている。
メルフィーも、今までにない手応えを感じていた。吟遊詩人のMP回復の歌のおかげで、魔力切れの心配がほとんどない。ケアルを惜しみなく使える。余裕を持って、全員の体力を管理できる。
——これが、本当のパーティプレイなのだと、二人は思った。
何時間が経っただろう。
さすがに、全員の顔に疲労の色が濃くなってきた。連続戦闘の集中力が、少しずつ限界に近づいている。
「そろそろ終わりにしましょう」
リーダーが、静かに言った。
「私のインビンシブルに合わせて、全員出口に向かって走ってください」
インビンシブル——ナイトが持つ究極の切り札。一定時間、あらゆる物理攻撃を無効化する力。絶対回避と似ているが、こちらは回避ではなく完全な無敵状態だ。
「行きます——インビンシブル!」
リーダーの体が、金色の光を纏った。周囲の骨が一斉に反応してリーダーに群がるが、その攻撃は一切通じない。
「今だ、走れ!」
五人が、一斉に出口へ向かって駆け出した。リーダーが殿を務め、骨の注意を引きつけたまま、最後に追いかけてくる。
全員が洞窟を抜け、クフィムの雪原に飛び出した。
背後の洞窟から、骨の気配が途切れた。
「——お疲れさま」
リーダーが、息を切らせながら笑った。
「みんな、今日はありがとう」
リーダーが、メンバーに頭を下げた。
「じゃ、お先に」
「おつかれー」
「またな」
メンバーたちは、それぞれ軽く手を振って、足早にジュノの方へ歩いていった。
「あっ、ありがとうございました!」
「本当にありがとう!」
二人が慌ててお礼を叫ぶと、メンバーたちは振り返って笑顔を見せてくれた。
メンバーたちの姿が見えなくなるまで見送ってから——リーダーが、ぽつりと言った。
「これで罪滅ぼしができたとは思わないけど……少しくらいは、償えたかな」
「いえいえ、十分です!」
「十分すぎますよ!」
二人は大慌てで首を振った。そしてタルティーは、改めて伝えた。
「あのときのことを、罪だなんて思わないでください。あれは誰にでも起こりうることでしたし、ボクたちはちゃんと無事でした。……むしろ、あの経験があったから、ボクたちは強くなれたんです」
リーダーは、しばらく二人の顔を見つめていた。
やがて、静かに話し始めた。
「……正直に言うと、あの後ずっと後悔してたんだ。あのタルタルの冒険者を、死の淵まで追いやってしまったって。そのあと声をかけるタイミングがわからなくて、逃げてしまった自分が情けなくて」
「…………」
「だから——今日、会えてよかった」
リーダーが、笑った。穏やかな笑顔だった。
「もし君たちがよければ、また一緒にパーティを組んでくれないか? 誘うときは、必ず二人一緒に声をかけるからさ」
タルティーとメルフィーは、顔を見合わせた。
同時に——笑った。
「はい、喜んで!」
三人は、フレンド登録を済ませた。
冒険者証に、新しい名前が刻まれる。あの日セルビナの門前でゴブトレインを引き起こした男が、今日は二人の頼もしいフレンドになった。
不思議なものだ。出会いというのは、どこで何に繋がるかわからない。あの日の災難が、今日の再会に。今日の再会が、明日の冒険に。
クリスタルの導き、というやつだろうか。
リーダーと別れた後、二人は冒険者証を確認して——目を疑った。
「レベル……36?」
「36になってる! 30から36まで、一日で!?」
「いったいどれだけの経験値を稼いだんでしょう……。前に誰かから聞いた話では、時給三千でももの凄いと言われてるのに……」
「計算したくないよ……。怖いくらいだよ」
タルティーとメルフィーは、クフィムの雪原に立って、もう一度冒険者証を見つめた。
レベル36。
冒険者になったばかりの頃は、レベル2になっただけで喜んでいた。それが今は、36だ。
「……ねぇ、タルティー」
「はい?」
「今日、あの人に会えて、よかったね」
「はい。……本当に」
「それと——」
メルフィーが、ちょっとだけ照れくさそうに笑った。
「今朝、気まずかったの、吹き飛んだね」
「……そうですね」
タルティーも、小さく笑った。
昨夜の星空の下で交わした約束は、ちゃんとここにある。そして今日、新しいフレンドができた。
全部、繋がっている。
いいことも、つらいことも、全部。
「帰りましょうか、メルフィー」
「うん。帰ろう、タルティー」
二人は、雪原を歩き始めた。
ジュノへ続く洞窟の入口に向かって。いつものように、並んで。
小さな足跡と、少し大きな足跡が、白い雪の上に刻まれていく。
その歩幅は——昨日よりも少しだけ、近かった。
